連休二日目の夕方、カメラ片手に環状4号線予定地を見にふらりと散歩に出かけた。
都心の住宅密集地にある余丁町児童公園はまさに建設予定地。そのうち東京の幹線道路になる予定である。
ひと通り写真を撮り終えて余丁町児童公園と続いている富久町児童公園を経て自宅へ戻ろうと歩き始めると目の前にはじめて見る石碑が……。「刑死者慰霊碑」、建立は昭和39年東京弁護士連合会とある。
この場所が、東京監獄・市ヶ谷刑務所だったらしいのである。
自宅へ戻りネットでさっそく調べてみると、なんと市谷台町と富久町のあたりは明治から昭和にかけては刑務所だったのだ。しかも、刑務所の一番奥まった場所だった現在の富久町児童公園にある石碑の場所に絞首台があり300人余りもの政治犯などの死刑が執行された場所だったのだ。
その中には、明治末期に社会主義者、アナキストたちが、昭和に入ってからは朝鮮独立運動の活動家・李奉昌(イ・ボンチャン)もここで死刑になったということである。
自宅と目と鼻の先にこんな場所があったことも驚きではあるが、自分の住んでいる場所も刑務所の一部であったことすら知らなかったことで、自らの無知を認識することに……。
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