自宅近くの余丁町の静かな住宅街では、土台だけが残され立ち退いた家屋の跡がいたるところで見受けられる。
コクドのような、どこぞの悪徳地上げ屋がこの地で暗躍しているのではとの思いでカメラ片手に出かけてみると、な、な、なんと!環状4号線の建設予定地であった。
ウチへ戻って調べてみると、東京都の都市計画として昭和21年、港区高輪三丁目を起点とし江東区新砂三丁目を終点とする道路として戦後まもない頃に決定されたとのことで、富久町で外苑西通りに通じることになっている。外苑西通りは環状4号線だったのかと、あらためて納得したのであった。
この事業認可区間の330メートルの余丁町区間は2007年度開通予定となっているけれど、ホントに完成するの?
そもそも、GHQ占領下のいにしえの時代の計画が平成の現代に生き残っていたこと自体が驚きであるが、そんな道路を今さら都心の住宅密集地に造らなければならない理由ってホントにあるの??
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