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「1700億円の釣り堀」で死亡事故

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デジタル絵日記
写真と文:加藤雅昭
11日夜、苫小牧東港の防波堤で釣りをしていた自衛官7人が死亡(一人は救助された)した事故現場、「1700億円の釣り堀」と揶揄された苫東の堤防で起きたもの。

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月刊 自然と人間 2006年7月号 発行:株式会社自然と人間社
「破綻した国家プロジェクト―苫東開発、30年目の夏」
写真と文:加藤雅昭

nibutani.jpg開発局に乗っ取られた?
1998年チプサンケ(舟下ろし祭)~二風谷

nibutani.jpg苫東工業基地への工業用水供給目的に建設された二風谷ダム、沙流川の河原で毎年開催されるチプサンケ(舟おろし祭り)のために水を抜かれたダムの底は、冠水からわずか4ヶ月間でヘドロ状態となっていた。

苫東の教訓

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tomatoh_03.jpg赤旗北海道版 1996年4月21日 発行:日本共産党

 疑問や反対の声を無視してすすめられた結果1,600億円もの赤字を作ってしまった苫東。その張本人である北海道開発庁は汚名返上とばかりに千歳川放水路計画を発表した。日本海に流れている川を洪水対策とはいえ太平洋に流すという荒唐無稽な計画には当初から多くの疑問や反対の声が上がった。

千歳川放水路計画

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utonaiko_01.jpg赤旗北海道版 1996年4月20日 発行:日本共産党

 1989年のある日、苫小牧の友人から日本海に流れている千歳川を勇払原野を通して太平洋に流す計画があると聞いて驚いた。

浜厚真

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tomatoh_02.jpg赤旗北海道版 1996年4月19日 発行:日本共産党

 苫東の第二次買収ともない国鉄日高本線の浜厚真駅は無人となり、国道が切り替わり、学校が廃校となり浜から人々の姿が消えた。日高方面への交通の要所として栄えた浜厚真は開基80数年でその歴史を閉じた。

弁天

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tomatoh_05.jpg赤旗北海道版 1996年4月17日 発行:日本共産党

 大学で写真を学んでいた私がはじめて勇払原野を訪れたのは、浜厚真沖で苫東開発が正式着工された1976年の夏、二十歳の時だった。車も金もなかったためカメラをブラ下げ野宿しながら歩き回るしか方法がなかった。

勇払原野-静かな大地の妖怪

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tomatoh_01.jpg赤旗北海道版 1996年4月16日 発行:日本共産党

 勇払原野には大地を食い物に生き続ける妖怪が棲んでいる。
 周囲の反対の声を無視した強引な苫東着工から10カ月を経た1977年6月10日、国土庁は苫小牧東部を含む大規模工業基地開発計画の再検討を促したが、東港の港造りは予定通り続けられた。

千歳川放水路計画の経緯と概要

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asahi_graph_s.jpgアサヒグラフ「検証・千歳川放水路計画」1993年6月11日号 発行:朝日新聞社

 千歳川の中下流部、千歳市街から石狩川合流点までの約40kmの区間は、河床勾配が非常に緩い区間で、これまでたびたび洪水に襲われており、特に'81年8月上旬の記録的な集中豪雨では、浸水面積192平方km、床上・床下浸水2,676戸もの被害を出す大洪水となった。

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