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帝銀事件の概要の概要

  1948年1月26日午後3時過ぎ、一人の男が帝国銀行椎名町支店に現れ、近くで集団赤痢が発生したといって16人の行員を集め、予防薬と称する毒物を飲ませ、12人が死亡した事件。他の銀行でも2件の未遂事件が発生していたことが発覚。その際に犯人は「厚生省技官松井蔚」という名刺を残した。松井氏は実在の人物で、名刺を交換したものの捜査がすすめられた。捜査本部は、毒物に深い知識を持っていることに注目し、青酸毒物の人体実験をおこなっていた731部隊など旧陸軍関係者の捜査を進めたが、捜査は一転、毒物に知識も経験もないテンペラ画家の平沢貞通氏を逮捕した。平沢氏は公判で無実を訴えたが、一審、二審とも死刑判決が出され、1955年5月7日、死刑が確定した。平沢氏は再審を訴えつづけたが、1987年5月10日、獄死した。享年95歳。3回忌にあたる1989年5月10日、平沢氏の養子となった平沢武彦氏によって第19次再審請求が東京高裁に提出された。