千歳川の中下流部、千歳市街から石狩川合流点までの約40kmの区間は、河床勾配が非常に緩い区間で、これまでたびたび洪水に襲われており、特に'81年8月上旬の記録的な集中豪雨では、浸水面積192平方km、床上・床下浸水2,676戸もの被害を出す大洪水となった。
この洪水をきっかけに北海道開発局内部では石狩川水系洪水対策工事の一環として戦前より存在した「石狩勇払運河構想」を土台とする太平洋放水路計画(後に千歳川放水路計画と名称変更)の本格的な検討をすすめ、'84年、当時の北海道開発庁長官であった稲村左近四郎代議士(故人、後に撚糸工連汚職で逮捕、有罪となる)が北海道建設業協会後援「北海道稲村後援会」発足直後に記者会見で具体的な計画を正式に発表。
放水路計画は工期を20〜30年を要し、総工費が計画発表当時で2,000億円(現在では用地買収費を含めないでも3,000億円、一説にはそれ以上かかるとさえ言われている)を費す今世紀最大規模といわれる国家プロジェクトで、千歳川の中流部から幅400m前後、長さ38.5kmにもおよぶ放水路を掘りこんで、洪水時には千歳川の水を日本海へは流さずに太平洋へ逆流させてしまおうというもの。
'87年、地元のコンセンサスなしに一方的に決定されたルート上には、渡り鳥の重要な中継地点であり、'91年に日本で四番目のラムサール条約登録湿地となったウトナイ湖に80%の水を供給している美々川の源流部があるため、地下水分断による湖の枯渇や生態系への悪影響が懸念されているほか、放水路による気温の低下、海霧の進入による日照時間の減少、洪水時の濁流による漁業被害、さらには大量に出る掘削土砂(1億2,000万立方m、パナマ運河掘削土の約3分の2の量に匹敵)の処理など様々な問題点が指摘されている。
そんな中で北海道開発庁とその出先機関である北海道開発局は公共事業の先細りから提言されている沖縄開発庁、国土庁との三庁統合論を打ち消す意味や1976年に着工したが完全に破綻した計画となってしまっている苫小牧東部大規模工業基地開発での汚名返上という意味においても一刻も早い環境アセスメント着手を目指し、地元自治体である道をも巻き込んだ形でこう着状態打開へ向け水面下で動き始めている。
一方、他の地域の洪水を持ってこられる形となる苫小牧市、早来町などの農民や漁民、専門家による具体的な代替案を示し計画に反対する日本野鳥の会などをはじめとする自然保護団体らは、横路北海道知事が開発局にルート迂回を含む要請をした('92年6月)ことはルート微修正による美々川への悪影響に変化がないばかりか「条件付容認」につながるとして反発を強めている。
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以下の、5つの文章は1996年4月16日から21日までの赤旗北海道版に連載されたものです.
勇払原野には大地を食い物に生き続ける妖怪が棲んでいる。
周囲の反対の声を無視した強引な苫東着工から10カ月を経た1977年6月10日、国土庁は苫小牧東部を含む大規模工業基地開発計画の再検討を促したが、東港の港造りは予定通り続けられた。

今年、着工から20年を迎える苫東は累積赤字1,600億円を抱え完全に破綻している。皮肉なことに企業の進出が全く無い臨海部の一部では国の天然記念物が大挙して訪れるほどにまで自然が蘇ってしまった。
最近になって、せっかく自然が蘇ったこの場所に核施設(ITER)と国会を誘致しようとする族が現れた。国会議員が身をもって核の安全性を証明しようというのなら笑えるかもしれないが、これはまたしても大地を食い物に生きるものの仕業。
戦後50年を経ても土建政治の体質は変わらない。
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大学で写真を学んでいた私がはじめて勇払原野を訪れたのは、浜厚真沖で苫東開発が正式着工された1976年の夏、二十歳の時だった。車も金もなかったためカメラをブラ下げ野宿しながら歩き回るしか方法がなかった。
国鉄日高本線勇払駅と浜厚真駅の間の弁天地区は不気味なほど静寂だった。そのあちらこちらには無残な廃屋が点在し、サイロや家主の去って久しくなるブロック造りの家が窓枠だけを残し、ひっそりと建っていた。

戦後多くの開拓農民が入植した勇払原野の中でも、とりわけ自然環境の厳しかったのが弁天地区。湿地帯であったため排水溝を掘ったり客土したり、血のにじむような努力のすえ開墾した。サイロに使うブロックまで自分で作ったという。そんな中、酪農に光明が見えはじめた矢先の1960年代後半、苫東計画による強引な土地買収で人々はこの地を去らなければならなかった。
ここが鹿島をはるかに凌ぐ大規模臨海工業基地になるとは到底信じられなかった。
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苫東の第二次買収ともない国鉄日高本線の浜厚真駅は無人となり、国道が切り替わり、学校が廃校となり浜から人々の姿が消えた。日高方面への交通の要所として栄えた浜厚真は開基80数年でその歴史を閉じた。
浜厚真の前浜漁場は道内でも有数のホッキ、ホタテ漁場で苫東以前には全道でもトップクラスの所得を誇っていた。

この海岸には昔から漁港はなく漁船は前浜に引き上げる以外方法がなかったが、こんな浜に突然、念願の「港」が出来た。苫東港工事用船溜まりが1976年8月の着工からわずか数ヶ月で出来てしまったのだ。
その後行なわれた第二次買収で浜から一里も離れた上厚真に出来た漁民団地へと移り住んだ人、海を捨てて転職したり、道内の他の港町へ散ってしまった人……。
苫東着工直後、浜の人々は苫東港工事を横目で見ながら細々と漁を続け、浜を去る日を静かに待っていた。
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1989年のある日、苫小牧の友人から日本海に流れている千歳川を勇払原野を通して太平洋に流す計画があると聞いて驚いた。
1991年、ある雑誌で私の写真と作家の立松和平氏の文章で放水路問題を取り上げたとき担当編集者の元へ北海道開発庁から「放水路は自然を蘇らせるためにやっている計画です。」との電話があり説明を聞くために私と編集者の二人は霞ヶ関へ出かけた。

応対に出た当時の河川課長は初対面の我々に計画に異議を唱えている石城氏と大畑氏を呼び捨てで「放水路は美々川・ウトナイ湖に影響がないと知っていながら反対運動のために反対している」と、代替え案として背割堤を示していた自分の恩師・Y氏のことを「高齢でボケている」……など、テープレコーダの前で言いたい放題。この課長は私が苫小牧出身であるということを知らなかった。
私は官僚の傲慢さと話術の巧みさに驚いた。この課長こそ現在の北海道開発局長・北條紘次氏である。
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1991年6月3日北海道開発庁にて収録
| 1 | 上記・反対運動について (約250Kの音声ファイル) |
| その後、北海道開発庁では放水路による美々川・ウトナイ湖の水位低下を認め、美々川に遮水壁を設ける計画を示している。現在の北海道開発局長である北條氏はマスコミに大嘘の発言をしたことになる。 | |
| 2 | 上記・恩師・Y氏について (約250Kの音声ファイル) |
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疑問や反対の声を無視してすすめられた結果1,600億円もの赤字を作ってしまった苫東。その張本人である北海道開発庁は汚名挽回とばかりに千歳川放水路計画を発表した。日本海に流れている川を洪水対策とはいえ太平洋に流すという荒唐無稽な計画には当初から多くの疑問や反対の声が上がった。
しかしながら、またしても北海道開発庁はこの声に耳を傾けていない。
苫東開発で約束された美々川とウトナイ湖の保全は放水路計画によって反古にされてしまったも同然だ。
国の天然記念物が大挙して訪れる苫東内の弁天沼周辺に国際熱核融合施設を誘致しよう、国会も誘致しよう、そして千歳川放水路計画等々…。

着工から20年、人々の生活と自然環境をことごとく変えてしまったうえに失敗した苫東の教訓はまったくと言っていいほど生かされていない。
勇払原野には次から次へと妖怪が現れる…。
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